C58 36

宇部から上っていくと、人口1万人の街「美祢市」があります。
此処を走る美祢線は旅客輸送が乏しいものの、石灰石輸送で成り立ってきたため、
幹線扱いという大変珍しい路線なのです。

美祢市図書館の側にあるC58 36は美祢から石炭、石灰石を運び、宇部、小野田の工業都市育成に貢献したのです。

昭和13年に川崎車両で作製され、1941年釧路−1949年和歌山−1961年小山・水戸を経て
  1967年厚狭に配置されました。
1972年に美祢線を退いて小郡に在籍後、昭和48年5月に廃車となりました。

然し車体があちこち錆びているし、
炭水車のライトが破損していますね。
一部錆止めでごまかしているのも残念!
美祢市長様!もう少し綺麗に保存して欲しいですね。

C58はハチロク、クンロクの代替機として登場し、
427両製造され
貨客兼用機として活用されました。

軸配置  1C1「プレーリー式」
長さ18.28m
幅 2.94m
高さ3.94m
シリンダー寸法 480×610mm
使用圧力 16.0kg/平方cm
重量 機関車 積車58.7トン
炭水車 積車41.5トン
動輪直径1520mm
最大馬力1094PS
最高速度85km/h
走行キロは
1941.452km 地球を約48周回ったことになります。

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さて機関車の前にはこんな物があります。

此は1997年に廃線となった美祢線,大嶺支線(南大嶺〜大嶺)の終点、大嶺駅の案内板です。
大嶺は嘗て炭坑があり、昭和40年代に閉山するまで此処から石炭を積んで送っていたのです。
それまで数百人も昇降客がいた駅が、閉山後から廃止寸前頃は一日4〜5往復、
平均10〜20人しか乗らない寂しい幹線になったのです。


今、美祢線はワンマン車両が寂しく走る路線…。
嘗ての大きな炭坑町「美祢」を物語る、二つの「遺物」なのです。


さて、その「大嶺駅」のあった場所は・・・
(平成19年5月15日 撮影)

現在は大嶺郵便局と駐在所が建っています。
南大嶺から辿っていくと橋梁などの廃線跡がいまでも残っていて、10年たっても
嘗てあったという証拠が分かるのですが、
石碑が付けられても駅舎だけは何ひとつ残りませんでした。

何か写真の一つでも掲げてもよかったのですが・・。

私は廃線になるかなり前、何度か車で訪れたことがあります。
「12M15CH」の文字(12マイル15チェーン)の文字が刻まれたホームがあったと記憶してますが、
調べてみると、メートル法では約19.6km。
厚狭〜大嶺間の距離を表し、明治38年イギリスの技術を用いて鉄道が建設された名残だったそうです。

あの頃はまだカメラに興味があまりなくて、
バカチョンカメラの一つでもあの当時、歴史を知る上で持っておけばよかったか・・と。

その唯一の名残がここのバス停か。
駅はなくとも「大嶺駅」・・・・

では、C58 36号機を眺めてみましょう


(平成19年5月15日 撮影)


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