D60 1

さて山口市の人は「SL」と言いますと、「博物館の汽車のこと?」と言う方が多いのですが
この機関車がそうなのです。


D60形式1号蒸気機関車について

D60形式1号蒸気機関車は、昭和2年3月、
9900形式161号機関車として川崎造船所で誕生し、
東海道線や、山陽本線で活躍していましたが、
昭和26年10月、山口線の津和野機関区に配属となり、
昭和41年10月まで約15年間山口線の旅客、
貨物の輸送に活躍してきました。
一方動力の近代化が進むにつれて、蒸気機関車は
だんだん姿を消すようになり、
このD60形式1号機も昭和41年12月1日、廃車になりました。
蒸気機関車は、将来貴重な存在になる物と思われますので、
山口県では
青少年の教育に役立てるため
山口線を走ったこの由緒ある機関車を、
日本国有鉄道から借り受け、
県立山口博物館に展示することにしました。
昭和43年9月1日 山口県


「D60形式1号機関車」

昭和2年3月   川崎造船所で9900形式161号機関車として製造
昭和3年10月  車両称号規格改正により、D50形式162号機関車と改称
昭和26年9月  国鉄浜松工場でD60形式1号機に改造
昭和26年10月 山口線津和野機関区配属
昭和41年12月 廃車

最大寸法 長さ20.03メートル 軸  2.78メートル
       高さ 3.95メートル
機関車重量
       積車81.56トン   空車73.71トン
炭水車重量
       積車49.45トン   空車21.05トン
牽引重量 800トン
最大馬力 1510馬力
動輪直径 1.4メートル

走行キロ 2,646,300(うち山口線827,115)キロメートル

走行キロ数は、ちょうど地球を66周したことになります


この機関車は、山口県庁近くの県立博物館に静態保存されています。
この様に山口県も立派なプレート付の石碑をこしらえて称えているのです、

然し…

      

 
なんと!!
「煙室戸ハンドル」がないんです!!

何故この機関車は作り替えられたのでしょう?

戦後、輸送事情が貨物から旅客を重視するようになり、
貨物機関車が余ってしまいました。
そこで、貨物機関車のボイラーを転用して旅客機関車にしたり、
(D51→C61、D52→C62等の転用例)
地方路線で運転できるようにするため、
従輪の改造をしたり、という方針がとられました。、
(D51→D61、D52→D62、C59→C60といった改造例)
これは後者の例で、D50の従輪を1つ加えて、新形式の機関車になったというわけです。


というのが
D50は軸重が重く、(14.99t)主要幹線しか向きませんでした。
その為負担を軽減すべく、
前、従輪の直径を縮め、
従軸輪を2つにして、
軸形式を1D2(バークシャー形といいます。)形にし、
軸重を13.76tに縮めることにしたのです。

D60は、津和野、北上、紀伊田辺、
直方、大分、池田(根室本線)、に配置され、
地方線の輸送に役立ちました。
比較的電化や、ディーゼル車導入の遅いところでは重宝し、
1970年代までは、筑豊などではD51とともに活躍していました。
最終的には、この形式は、1974年まで走っていたそうです。

前面を見ると分かるように、
山口線仕様のため、煙突に
集煙装置が付けられています。
これはC571の例で分かるとおり、山口線の仁保〜篠目間、
25パーミルの急勾配にある、連続したトンネルでの煙対策なのです。
煙がトンネルの天井に当たり、運転室や客車内に充満するからなんですね。
当時山口線はD51も配備されていて、同様に、此を上に被っていたのです。

保存状態も(博物館所有ですから)本当、
良い状態で置かれているんですよね。
然し、煙室戸の
あの始末は一寸なぁ…と思います。
(複製品でいいから、付けてくれないかなぁ?)


平成18年5月3日 撮影
さて数年経ってから再び県立博物館を訪れてみましたが、
石綿除去後に幾らか塗り替えられていたようです。

煙室戸ハンドルも再度取り付けられるようになりました。

でも、前照灯が取れかかっていたり、
似つかわしくない塗装の仕方・・。
もう一寸、現役時に近い姿にして欲しいですねぇ。


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