昭和14年(1939)3月日本車輌で製造されました。
肥薩線の「山線」越え任務が殆どで、
昭和47年(1972)3月15日 肥薩線でD51687と重連「さよなら運転」で任務を終え、
6月5日 人吉にて廃車となりました。
その後、58654とともに矢岳駅構内にて「静態保存」となり、現在でも手厚く保護されています。
特徴として、敦賀方式をもとに鹿児島工場で空気式に装備された集煙装置、
ボイラ上には650?、ランボード上に600?の重油併燃装置、独特の形をした砂撒き管カバーと
肥薩・山線30.3パーミル仕様の装備が目立ちます。
(九州では唯一、この区間が集煙装置装着区間であった)
この矢岳越えをした機関車で、現存するのは僅かにこの一台。
当時のままの姿が、(動態化されても)状態の良いまま残って欲しいものです。
D51170を眺めてみましょう。