撮影 平成19年2月12日

C55 46号機は大分市の中心街・若草公園にあります。
丁度大分サティの隣という、分かりやすい場所でした。

で、細かいところをよく見ますと・・
シリンダーカバーに見られる刻印。
C5546の印が見えます
第一先輪にはC55 3?の刻印が
シリンダーカバーを反対側から見たら、
C55 12の刻印も
第二先輪はC57 117の刻印。
元の機関車は、昭和48年宮崎で「蒸機による最後」の
お召し列車
を牽いた蒸機なのです。


この他、塗りつぶされた各動輪を、目を凝らしてみれば、
「C55 46」の刻印が見つかります。

(よく写らなかったので、分かりやすいようにフォトレタッチ加工してます)

これがプレートに表記されている「C55 53」とは異なる。
という証拠なのですが、意外にもこの蒸機、
結構他の車両から部品を流用していたことが分かります。

一応、53号機という証拠の
「三菱重工神戸造船所製造 第200号」プレート

然し・・46号機は「川崎車両」製造なのです。
何故に此が付けられているのやら・・?

ちなみに53号機の本当の経歴は、
昭和12年2月三菱重工で製造され
 宮原→梅小路→奈良→亀山→
若松にて昭和46年廃車となりました。

現在、動輪が大阪の共栄興業に保存されてます
側面に、登る子供達を寄せ付けない「武者返し」
これがどうも頂けないですねぇ・・。
機関車全体を細かく写せないのが、
いっちょん好かんです。

で、まだ見比べて欲しいのが、前述した「説明看板」の写真と展示蒸機の形状です。
門デフの形に、テンダー(炭水車)まで異なっているのがはっきりと分かるはずです。
(クリックすれば拡大写真で比較できます)
見れば見るほど謎ばかりのC55 46号機。
真相に詳しい人からの「解説」を望みます(^^;)


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