平成17年2月27日
昭和31年11月、日本最初の寝台特急として誕生した「あさかぜ」が、
平成17年2月28日をもって「卒業」することが決まり、「始発(終着)駅・下関」で
記念イベントが催されることになりました。
下関駅でのコンコースでは、このような記念撮影の場所が設けられてました。 お隣のブースでは、2/29.3/1にパネル展が実施されていましたね。 |
私は「あさかぜ」に一度も乗ることなく、この日を迎えてしまったが、 昔から好きなブルートレインでした。 「日本最初」の寝台特急という誇りもあるが、やはりこの列車は新幹線の時代になっても、 「下関行(発)」という冠が残る貴重な存在だったから・・ではないでしょうか。 特に此処、下関の人達には約50年間、「華」のようになじみ深い存在でもありましたから・・・ |
簡単に歴史を述べますと・・
昭和31年11月19日 | 戦後初の夜行特急として東京〜博多に登場 |
昭和33年10月1日 | 20系導入。「ブルートレイン」の代名詞となる |
昭和43年10月1日 | 東京〜博多で増発。2往復体制に |
昭和45年10月1日 | 急行「安芸」を格上げさせて、 東京〜下関間で増発。3往復体制に 都ホテルなどのシェフが腕をふるう食堂車には、 30分待ちの列ができたほど。 「動くホテル」と称されて、乗車券は並んでも取れないかったという |
昭和50年 3月10日 | 新幹線博多延伸により、東京〜下関・博多 各1往復に変更 |
昭和52年 | ボーイ(乗客掛)制廃止 |
平成5年3月18日 | 食堂車の営業廃止 |
平成6年12月3日 | 東京〜博多1往復が廃止 |
平成15年 | 乗車率が29%に低下する |
平成16年 | 平成17年3月1日の改正で、「さくら」とともに廃止が決まる |
山陽線が下関まで電化するまではC59・C62という蒸機も牽引し、
まさに「優等列車」にふさわしい扱いでもありました。
お隣では、同じ日に廃止となる「いそかぜ」が停留。 実はこの隣には、EF65の1000番代機関車も 置かれていたのですが・・ ヘッドマーク等、何もつけてなかったんですよね。 折角だからこの機会に「思い出のあさかぜ」として 演出して欲しかった・・(^^;) EF66って元々貨物用に使用されていたのですが、 当時あまり気に入らなかったんですよね。私は。 今はEF66が定番になって見慣れてしまったけど・・。 (30代半ばより上の人は、EF65−1000の方が なじみ深いですよねぇ(笑)) |
この日、廃止前の日曜日とあって、 9番線には多くのギャラリーが・・・・ 案内標識には、「ラストラン」式典の準備もされていて、 ここ数年でも見られない賑わいを見せる下関駅です。 まるで明日の予行演習のように・・・ |
続きます |
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