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ようこそ、「ばんえつ物語」号へ
この列車は「森と水と浪漫」の、越後、阿賀野川流域、城下町会津若松へご案内します。

 


盤越路の新しい「顔」として、99年に甦ったC57 180号は、
昭和21年(1946)8月8日三菱重工三原製作所で製造され、
同年(1946)10月4日新潟に新製配置されました。

昭和33年2月に、日立製作所製のボイラーに入れ替え、
その後
昭和38年新津に移り、以来廃車となる昭和44年までこの地を離れずに
新潟の「貴婦人」として、長く籍を置きました。

この180号機、
実は、今も動態運転のSL達と奇遇な縁がありまして、
新津では、先輩の1号機と一緒に走っていたこと。
しかも昭和43年には、D51 498号機も此処に配置されていた経緯があります。


昭和44年9月4日に廃車が決定、9月30日にさよなら運転の大役を果たし、
10月12日には、新津市の新津第一小学校の校庭まで
引き込み線を敷いて乗り入れ、静態保存となりました。

実は当時14号機、172号機が候補に挙がったものの
14号機は名古屋に転属済み、172号機は殆ど使用されていない状態のため
選外となった、といういきさつがあったそうです。

昭和43年7月に長野で全検後、1年2ヶ月という事もあり、
180は語呂も良い・・というのが最大の理由だった・・・とか。


その後新津市蒸気機関車保存協力会により、
春秋と年二回の清掃をしてきたことにより、
良好の状態を保っていました。

 

1997年、新津市蒸気機関車保存協力会が母体となり
「SLC57 180を走らせる会」が発足。


そして、磐越西線の観光誘致対策の一つとして、
新津市やJR新潟支社の熱意で復活が決まり、
1998年(平成10年)3月、
新津第一小学校から「お別れ」して、
JR大宮工場へと運ばれました。

ボイラー復元は大阪のサッパボイラー社、
動輪タイヤの取り替えは住友金属関西製造所、
本体復元は大宮工場で行われ、
平成11年(1999)3月、30年ぶりに
「火」を入れることに成功しました。


平成11年(1999)4月29日、180号機は
遂に、盤越路に帰ってきたのです

なお、C57は、製造過程から1〜4次形に分かれており。
この180号機は、3次形に属します。
見た目はあまり変わってないように見えますが、
まず、
前輪がディスク形になっていること。

まず、前輪がディスク形になっていること。
1号機はスポーク形です。)


(2002年7月6日 品川にて 提供jsasaki様)


側面を見ますと、放熱管の位置が下のランボードへ移っています。

(2002年7月6日 品川にて 提供jsasaki様)

 

(2002年7月6日 品川にて 提供jsasaki様)

 

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