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はい。「みどりの窓口」です。
当列車は「維新」の地長州路と、西の京「山口」、城下町津和野へご案内します。


此処をクリックすると、汽笛が響く箇所があります。

国鉄制式蒸気機関車で、愛好家には
「美しく洗練された
パシフィックスタイル
(2C1−前輪2,動輪3,従輪1)と言われるC57形

 

C57 1号機は昭和12年(1937)3月22日
川崎車両で製造され、水戸に新製配置されました。
 その後、宇都宮、千葉、など、関東で17年走ってきた後、
昭和29年(1954)新津へ配置されました。

昭和33年3月、ボイラーの老朽により、
新三菱重工製の新ボイラーに載せ替えられるなどの工事もありましたが、

昭和47年5月、新潟での植樹祭では「お召し列車」を牽引。

同年9月に総武、成田線での特別運転に伴い、
新小岩機関区経由で千葉運転区に貸し出された後、
保存目的で京都梅小路へ移りました。


そして、昭和54年(1979)8月1日
国鉄山口線(小郡−津和野)復活運転決定時に、
梅小路機関車館で人気が良く、コスト面から検討された後、
この1号機が国鉄蒸機旅客列車として、「軌道」に帰ってきたのです。

映像提供〜さいちん様

この1号機、今までの生涯で2度の「波瀾万丈伝」を持っています。


昭和36年2月9日
羽越線で急行「日本海」牽引中に、崩れた土砂に乗り上げ、脱線し、大破。
長野工場で5ヶ月の題修繕を行い見事復活という事がありました。

そして記憶に新しい、平成7年
JR鷹取工場に入場中、阪神淡路震災に遭遇し、
仮台車から外れて損傷、という大事故にあっています

然しながら「元祖」の意地か、何れも見事復活を遂げているという
まさに強運の「不死鳥」と言っても良いでしょう。

ちなみに、山口線では、仁保−篠目間の25パーミル
(1000m走って25m登る勾配)の煙対策として、
集煙装置を煙突に付けています。
これは、
トンネル内で火の粉の飛散を防ぎ、
煙の流れを客車や運転席にかぶらないように
付けられた物で、
長野工場の図面から起こして、鷹取工場にて付けられた、
電動式ドアエンジンによる自動操作が出来る物だそうです。

山口線の構造上、これを付けるのは止むを得ないでしょうが、
(個人的には、あまり気にはしていませんけど)
古株愛好家の、「たまには外した姿を見たい。」
という願いも叶えて良いかな?と言う思いもあります。

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